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Dr. Kazuomi Hirakawa
Professor
N10W5, Sapporo JAPAN
060-0810
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Section of Earth System Science
Faculty of Environmentsl Earth Science
Hokkaido University
Tel: +81-11-706-2210
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Blog - 最新エントリー

佐渡の巨大津波履歴

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Diary
執筆 : 
hkazu 2012-8-17 8:23
佐渡島の津波履歴を調査しています.
佐渡で高校教員を長年勤められ,歴史地理学的な研究も多く,大勢の人材を育てられ,後期高齢者入りの現在もNPOを立ち上げて極めてアクティブにご活躍の小菅先生との個人的なつながりがあってのことです.4月に奥尻島で古津波履歴が分かって以来,日本海側の調査の必要性を考えていましたので,1983日本海中部地震津波,1964新潟地震津波などを意識していました.佐渡へは徐々に南下していくつもりでしたが,いきなりアプローチすることになってしまいました.
7月中旬と8月お盆前の2回行ってきました.
結果は,以下のとおりです:調査・認識の順序に従います.
1.口承,伝承
a ”三艘船”口承:両津の市街地背後の,段丘を開析している谷奥(標高30m以上?)まで,津波が遡上し,三艘の船を打ち上げた,という口承があり,現在も65歳くらいより年配者は伝えられている.明治23年の土地台帳の区割りには,この谷の周辺の田んぼに”三艘船”の区画地名がたくさん残されている.
b 加茂歌代城下伝説:やや大きな沖積谷では,標高10mていどの城下まで津波が遡上し,船が流れついたとの伝承がある.
2.東電の津波堆積物調査.
2011,3.11以降に東電によって実施された津波堆積物調査の報告が,東電HPで公表されている.佐渡市役所の防災課でそのことを知ったのですが,報告書のデータをみると,極めて適切な地形的場所で,適切な調査がなされていることが分かります.つまり,両津市街地近くの,最終間氷期の段丘を開析する浅い小谷底を含めて8カ所のボーリングらしい調査データがあるのですが,イベント堆積物が最高は標高5mまで数層準で認められています.それらの年代をよくみると,おおよそ1000年〜1500年くらいのくり返しを仮定できると解釈可能ですが,報告書の記載では海岸付近の一層だけが津波堆積物と認定され,標高4mのものが津波堆積物の可能性を指摘されています.
3.大佐渡北端部の海食崖に露出する津波堆積物
大佐渡北端に近い大野亀という,景勝地付近には,緩斜面〜低湿地を浸食する比高5m前後の切り立った海食崖が200mくらい連続していて,”平川流”の調査の理想的な地形条件があり,過去に巨大津波があったなら,堆積物として残されるにちがいないという確信があったのです.
ありました:7300年前のアカホヤ火山灰(にちがいない.これから鑑定)以降5層が崖に露出しています.津波間堆積物は泥炭質〜湿地性の有機質粘土で,大きな海浜礫の津波砂礫層は容易に認識できます.現在の海岸は巨礫=中礫の礫濱ですが,それと同じような大きな礫が津波堆積物になっているということです. 200mの崖では場所による層相の変化もありますが,ここでは詳しくは書きません.要するに過去数千年間で,5回くらいの(つまり,単純平均すれば 1000〜1500年毎)の津波だけが,海食崖を越えて遡上し,湿地へ浸水したことを示す事実が肝腎です.堆積物の礫が大きいことは,津波はさらに高所まで遡上したことを示すにちがいありません.

以上のように,佐渡でも,口承・伝承,東電による適切な調査,小生の”段丘崖での津波堆積物”によって,相対的に巨大な津波が1000〜1500年くらいの間隔でくり返し発生してきたことがほぼ確認できると言って差し支えないという認識に達しました.
日本海東縁の変動帯の地震がどれほどの範囲(沿岸の広がり)に,どれくらいの遡上高の津波を発生させてきたか,これで奥尻島に次いで佐渡島でもおおよそはっきりしてきたと理解している.
日本海東縁での系統的な調査が必要であることを示している,と確信しています.

以上,当面の調査概要です.

PS:防災の観点から,大きな問題になるのは,両津の市街地です.両津は加茂湖を閉じるように発達した砂州の上に立地し,標高は2〜3mです.ですから,ここに口承・伝承の津波ならもちろん,東電の調査による津波堆積物に基づく津波(4m)であっても,両津の市街地は津波の襲来で極めて深刻な事態になることを想定しておかねばならないということです.
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北海道の新津波浸水予測図

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Diary
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hkazu 2012-6-29 7:55
6月28日,北海道は見直しを進めていた新たな津波浸水予測を公表した.
北海道新聞は,”浜中34.6メートル 国内最大” ”浸水内陸十数キロにも”という見出しで,一面トップ.当然とはいえ,やはり新聞だとこういう記載にならざるを得ないのでしょうね.

北海道の津波検討で,最も重要なことは,世界中でこれほど数多くの地点でこれほど正確な津波堆積物,過去数千年におよぶ津波履歴が調査され,それを説明できるモデル(数値計算)を考えた例は,どこにもない,ということなのですね.先般公表された南海トラフの津波予測とは根本的に違います.南海トラフの場合は,起こりうる地震を”現在のすべての科学的知見を投入して,地震のモデルを設定し”,それによって津波を発生させた”架空の津波”で,北海道のように津波が運んだ砂や石の証拠によっているわけではないのです.この区別は重要です.

しかし,やっぱり数値計算は数値計算で,とくに陸上にあがってからの津波の遡上プロセスは,地形の違い(谷や平野:たとえば狭い谷か広い河口の三角州平野か,あるいは勾配のやや大きい扇状地なのか,泥炭湿原なのかなど標高分布や勾配にかかわる違い,広さや形状にかかわるちがいなど・・・)や植物,建物など障害物などによって大きな影響をうけ,モデルでは限界があります.津波の挙動で最もわかっていない,モデル化(計算)しにくいところです.大きな河川に沿っては,信じられないような上流にまで達するでしょう.

沿岸が切り立った崖で,やや深い海が打ちつける海岸では,とんでもない高さの津波が,計算上は出てきてしまいます.
ですから,浜中34mなどという数値にビックリ仰天するのではなく,だからといって数値計算にすぎないと安易に見過ごすのでもなく,超巨大津波はいつかは必ず来ると常に考え,備えておくことがなによりも重要なのだと思う.

備えは,小学生からお年寄りまで,ひとりひとりが考えられるような”情報”と”知識”を自ら作りながら,日常的に更新できるような仕組みが肝腎だと思う.道,各市町村の行政は,このような観点をもって防災行政に取り組んでほしい.
ハザードマップを作り,住民に配布するだけでは,ひとりひとりの命は守れないと思う.,
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日本海岸の巨大津波履歴

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執筆 : 
hkazu 2012-6-26 7:00
およそ3ヶ月ぶりに書きます.
3月末で特任期間も終わり,解放されて生まれ故郷の渥美半島・豊橋に帰郷しました.とはいえ,まだ北海道にもやるべき事が残っていて,しばしば”帰って”います.

そううちのひとつが,かねてより観たいと思っていた,1993年北海道南西沖地震・津波の被災地,奥尻島の津波堆積物です.1993年に20mを越える津波が生じ,百数十名の犠牲者がでたのだから,必ず同じような巨大津波が過去にもあって,それらは津波堆積物として残されているにちがいない,と思ってのことでした.
4月下旬に現地調査:ありました.すでに,北海道ではNHKや民放,北海道新聞が報道しています.
1993年津波遡上が大きかった南西海岸の完新世段丘上に,土壌,火山灰などに挟まって4〜5層,これまで観てきた十勝沿岸や東北・気仙沼などと同じ堆積相で段丘崖に露出しています.
それらは次のように重なっています:

1993年津波堆積物
人為堆積物
1741年渡島大島火山崩壊津波砂礫層
斜面堆積物
1640 Ko-d火山灰
黒ボク土壌
津波砂礫層1 13~14 C.
黒ボク土壌  (AD947 のB-Tmテフラを挟む)
津波砂礫層2 紀元前後〜2〜3世紀ころ
泥質土壌, Ko-fテフラ?
津波砂礫層3 2.9kaころ
泥質〜砂礫質土壌・堆積物
津波砂礫層4? 3.5 ka ころ?
沖積砂礫層

C-14年代,駒ヶ岳起源のテフラ,タービダイト年代(1993地震以降,海底堆積物調査が集中的に実施された)などから,これらの発生年代はかなり正しいとおもいます.したがって,600ないし700年〜1000年ほどの間隔で,くり返し,巨大津波が奥尻島の南西部を襲ってきたことになります.1993年南西沖地震はMw 7.8で巨大津波を引き起こすような震源域の広さをもっていません.津波も,奥尻島の狭い範囲だけで巨大でした.それにも関わらず,奥尻島にはこのような数千年間の津波履歴が段丘上に堆積物として記録されている事実が重要だと考えます.震源域ー波源域と奥尻島の位置,海底地形などが関わっているのでしょう.
しかし,いわゆる日本海東縁を眺めると,1964新潟地震,1983日本海中部地震,1993北海道南西沖,1940積丹沖とこの100年足らずの間に連発してきました.これらの地震領域で,南西沖と同様に”ローカルな”巨大津波=地震が発生したかどうかを調べれば,地震のくり返し性についても議論できるに違いありません.佐渡沖,天売・焼尻沖〜利尻沖も重要です.いわゆる”新生日本海東縁プレート境界”の議論にも関連すると思われます.
ともかく,日本海も波高し!です.調査・研究が急がれます.
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退職に際して・・・,補充

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hkazu 2012-4-3 8:40
昨日,久しぶりに(定年退職を機に)書きましたが,なんだか書き切れていないような気がしたのは,三陸でのフィールドワークについて,すでにある仲間に連絡していたからだと思い当たりました.ダブるところもあるのですが,再録しておきましょう.

先週,現役最後のフィールドワークにこだわって,まだほとんど見ていなかった石巻〜気仙沼間を含めて宮古まで津波堆積物を見てきました.特に牡鹿半島周辺を見たかったのです(下北を除く陸奥〜陸中〜気仙沼は,ほぼわかったていた?).

結果:津波堆積物は,ほとんどどこでも見つかります.ただし,弥生期以降は人間の活動で除去・擾乱が多く,先に記載・公表した気仙沼のように超巨大津波堆積物をセットでみられるところはありません.しかし,縄文期〜弥生期については考古(土器)編年の助けもあって(1日は東北歴史博物館の考古屋さんと一緒でした),津波堆積物は,行く先々の沿岸谷底でみつかりました.
宮古・田老では,安息角に近いような崖錐堆積物中,小谷出口の沖積錐堆積物中にも,津波間堆積層の黒土層と互層をなしつつ,しっかりと保存されています.

こんな具合で,津波堆積物の調査・研究はけっして困難ではありません.
むしろ,いま小生が考えているのは,津波堆積物調査・研究の課題はなんだろうか?ということです.
自分では今後なにをすべきだろうか?:
1.スーパーサイクルとその波源は,仮説的でも基本的なことはすでに考えた,
2.M8.0 ~8.2(1952,2003十勝沖)クラスでは,津波はほぼ海浜に留まるが,3.11のような超巨大クラスとの間にもうひとつクラス分け(サイクルはやや短い)ができるのではないか?,防災にはこれが重要ではないか(ex. 明治三陸クラス:M8.3 ~8.5).この問題に津波堆積物からいかに接近するか?
3.津波の挙動と地形(地域:三陸と道東は違う?というような)条件(三陸で30mを超えた遡上と地形をよく観る)を再検討.
4.サイエンスとしては,古津波堆積物の保存と地形・土壌発達環境のフィールド検証:というのも,上記のように宮古周辺のじつに多様な環境(地形・堆積条件)で,津波堆積物はきちんと残されているからです:個人としての興味とともに,若い世代,あるいは現場の実務者に”伝授”したい:そうすれば,全国各地で調査が展開可能・・・と夢想するのだが・・・,はてどうしたらできるだろうか?
というような具合です.
小生は定年ですが,すでに日高沿岸の町から,道の新浸水マップを使いつつ,新たな防災への取り組みを考えることを要請されました.小生は子供達を中心にして,手作りの町内津波堆積物分布図づくり,避難場所選定などを進めることが重要とあれこれかんがえています.
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退職です

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hkazu 2012-4-2 17:46
3月30日付で特任からも退きました. 津波堆積物を研究課題のひとつにしてきたのに,思ってもみなかった3.11超巨大津波が発生してしまって,とにかく今まで研究してきたことから発信できることは全部する,と心に決めて過ごした1年でした. 明日,生まれ故郷の渥美半島に戻ります.想定東南海・南海連動地震が起これば震度7の激震地になっています. 定年だから,と言ってノンビリできそうにありません.北海道は津波浸水予測図の見直しを間もなく公表するようです.津波堆積物の分布は北海道が世界でいちばんよくわかっています.これからは3.11津波以降,この新浸水予測図を作成する過程ではっきりしてきた北海道の超巨大津波の調査・研究を続けなければならないと覚悟を決めています. 生地の渥美半島,伊勢湾を渡って紀伊半島も観たいと思っています. もうひとつは,北海道の町村の新浸水マップに地形・土地条件をプラスして基本的なマップを準備し,その上に小中学生,住民ひとりひとりが,日常の生活や遊びのなかで自分で観た津波堆積物の地点をマークする(見方は小生が現場で何回か示す:教える),避難所の場所もそのなかでみんなで決める,つまりひとりひとりが参加し,マップを常に改良していくような活動を,X町の防災担当の人達とやってみようとあれこれ考えています. ともかく北海道には研究者として日高の山,十勝の森と川と海岸,大雪の山々に導かれて育ててもらいました.感謝の気持ちを忘れることなく,可能な限り頻繁に戻ってきて,しっかりした調査・研究に基づいて,住民のみなさんと共に考えたいと思っています. 有り難いことに,このHPは北大として維持していただけるようです.時宜にかなった文章・情報を書きたいと思っています. 先週,現役最後のフィールドワークにこだわって,まだ観ていなかった石巻〜気仙沼を観てきました.北上川の下流,あれは川ではなくて海ですね.北上川は,リアス海岸の海へ,強引に人工的に付け替えた”川”だから・・・・,あの津波の挙動はその影響が大きいと感じました.ついでに宮古まで足を延ばしました.石巻,女川,牡鹿半島,どこでも津波堆積物はありました.ただ,新しい方は,弥生期以降でしょうか,人間活動によって除去・擾乱されてしまったと思われ,ほとんど残っていません.はっきりしているのは,含まれる土器の編年から,いずれも縄文時代です.宮古・田老では,津波堆積物は崖錐のような急斜面でも,小さな沖積錐地形でも津波間堆積物(腐食土壌)を伴いつつ,何層も,容易に確認できました.三陸でもまだ調査を続けるつもりでいます.
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ボクがやってきたことで,もっとも肝心なのは,宮古・田老,陸中野田,洋野町・戸類家,下北・東通村,噴火湾・森,日高沿岸,十勝〜釧路〜根室,それぞれの地で,それぞれの土地条件と人々の住まい方に応じて,それぞれの間隔でやってきた超巨大津波がくりかえし住民の生命,財産を破壊し,翻弄してきたことだ.  サイエンスとしての超巨大地震,津波は,今後どんどん進展するにちがいない.それはそれで重要である.しかし,人が住むそれぞれの集落・土地で,どれほどの津波が,どれほどの間隔で襲ってきたのかが具体的なイメージを持って,それぞれの地の日常に即してわからなければ,本当の意味はないのではなかろうか?  こう考えると,岩手最北部の洋野町や野田村で数千年間に十数層の津波堆積物が教えている400間隔くらいの津波は,それぞれの時期毎に,それぞれの地の人間の生命,生業に重大な局面,状況をもたらしてきたにちがいない.下北・小田野沢集落は,この1200年間に,5回の津波に襲われた:ここはほぼ200年ごとに津波に襲われる土地条件が生活の場だということだ.  こんなふうに,それぞれの土地と,そこに生きる人々と津波との関連を分析的に観ることが,何よりも肝心なのだと確信する.M9クラスの波源域やスーパーサイクルの議論よりも,こっちの問題がもっと丁寧に検討されるようになってほしい.
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閑話休題かな?

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執筆 : 
hkazu 2012-2-11 13:45
このところ,取材が多い.当然だろうが・・・,でも,取材で聞かれているうちに,自分の頭がさらにクリアになっていくことを感じながら,揺るがない確信と,問題点を残している部分がさらに仕分けられていることを感じ取っている.丁寧に応対しなくっちゃ!.  3.11 津波に学ばねばならないことは,まだまだいっぱいあるのだが・・・,すでに(研究の側面でさえ)忘れられつつあるのだろうか???・・, 3.11津波の様相を丁寧に地形図上で見直し,分析的に考え,検討していて・・・,ちょっと疲れた.その瞬間に,実在する集落(地名)が脳を刺激して,井上ひさし「吉里吉里人」を思い出した.・・・抱腹絶倒,才気煥発,博覧強記,縦横無尽,痛快無比,(品性不良)・・・,あらゆる四文字熟語を勝手に並べて(造語しても)なんでもOKになる,ひとりでにやにやし,納得し,啓発され・・・・.”ふかいことを,おもしろく”井上ひさしさんは,いい.本当にいい.腹筋を鍛えるのに(ついでに,アタマと心の筋肉を鍛えるのに)最適にして最良の方法ではなかろうか?まちがっても,電車の中や,授業中(内職)に読まないことだ: ここで急にマジメになってですね,・・・,3.11以降,取り憑かれたように津波について調査し,考え,ただただ夢中で過ぎた1年だった.とくに頑張ったわけではない.しかし,1日として倦むことなく弛むことなく(ちょっとは弛んだか!?),毎日緊張感を持って,勤勉に日々が過ぎてきた,そういう勤勉,緊張感のなかいにる自分が好きだ,そう言える感覚が嬉しい.65歳に達せんとするこの期になって,そういう精神とそれを支える身体でいられるのが,とにかく嬉しい.津波でなくなった人達を前に,そんなことを言ってはならないのだが,まったく違う意味での”3.11への個人的謝意”だと書き残しておきたい. ・・・なんちゃって,とここでドイツ語風におふざけでマジメに混ぜ返すことができれば,井上ひさしに弟子入りできるのだがなあ,と非才を悲しむのみ.あちらの世界に行ってから考えるしかない. やっぱり閑話休題でした.
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これからどうする

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Diary
執筆 : 
hkazu 2012-2-5 11:20
想定していたとはいえ,「科学」で提示した千島海溝・日本海溝起源の超巨大津波の検討は,またまた一騒動になってしまった.これまでの膨大と言っても誇張ではない(と思う)データを”死蔵”してしまうわけにはいかないし,もうちょっと静かに,深く考えたいと基本的には思っていても,科学の〆切り,刊行・発売はあるし・・・,致し方なかったのですね.それでも,原稿,ゲラ段階でこんなに自分の書いたモノをくり返し読み直したことは,研究人生の中でなかった.夜中に突然目覚めて,あれ,間違えたか?と気になって,フィールドノートで再確認する・・・,緊張感は悪くないけど,心身にはいいとはいえない.改めて,戻るべきはフィールドノートであると,確信する.ノートをまとめて図化し,論文にしたものは,どうしても抽象化されている.改めて”真実は細部に宿る”ことを思い知らされるのは,フィールドノートとその時使った地形図だ.この当たり前のことを,再確認できたことは,フィールドワーカーとしてほんとうに嬉しい.

さて,北日本を俯瞰して,記載してきたデータをまとめることができた.これからどうする???
考えていることは二つ.
1.手持ちの現場の記載を(できれば全地点),製図して,残す.これによって,今後誰もが取捨選択,修正・訂正しながら,利用し考察できるようになる.
2.北日本だけでなく,巨大津波はいつか必ず来る.もっと現場の調査・研究が必要.しかし,人材が・・・・:
2-1.卒論生,修論生,博論前後の院生を,三陸〜北海道沿岸,根室まで,3週間くらいぶっ続けで,小生がやってきた調査のすべてを現地体験する野外スクールを実行したい:マイクロバス,20人限定?希望者が多ければ二度(以上)実施.とにかく若者を育てなければ!!.
2-2.学生とは別に,コンサルや電力会社の実務者を対象に,同じ野外スクールを実施したい.これによって,かれらは,日本全国の様々な地域で,場所で”平川一臣流”の調査・研究にトライできるのではなかろうか?時間の猶予はあまりないと考えなければいけないのではないか!,3.11が起こってしまった以上,きちんと対処することが,この時代に生きる関係者の責務ではないのだろうか?,そんな気がするようになった.

小生の信頼する友人達は,(平川一臣流の)”技術移転”を済ませなければ, DNAを残さなければ,消え去ってはいかん,とクギを刺すのです.そうかな,そうするか,というのが上の二つの気持ちです.タイミングよく,4月1日からは,無職,肩書きなし,何でもできるはず!!
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科学(岩波書店)に書いた津波のこと

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執筆 : 
hkazu 2012-1-26 9:45
今日,発売の科学(岩波)に,「千島海溝・日本海溝の超巨大津波の履歴とその意味:仮説的検討」という論考を書いた.このことについて知っていた記者さん達だけが,それぞれの新聞に掲載することになった(共同通信の記者さんが,大変な嗅覚と根性のある人で・・・・:だから全国に配信される).予想はしていたけれども,反響が大きくて(大きすぎて),かなりとまどっている.内容は,3.11 津波規模の津波が,過去3500年間についてみると,今回の波源,三陸沖北部(岩手〜下北沖),襟裳沖〜根室沖でそれぞれに1000年間隔くらいで発生してきた,その地震はM9クラスだろうというものです.これまで15年近く,北海道沿岸で400地点くらいで巨大津波履歴を調べてきて,もう定年だから,このまますーっと消え去るつもりでいたのに,3.11津波の様相を見てしまった今,全部を出して,研究者とし考えてきたこと,考えられることを残しておかねばならない,と,何度も言ってきたことのくり返しにしかならないのですが・・・・,年末・年始のNHKの放映も,なんだか目立ちすぎて・・・,あんな格好よくなくて,本当に泥臭いのです.子供の泥遊びの発展したものに感覚的には近いと思っています. それにしても,こういう反響の大きな内容は,報道関係すべてに公平に伝わるようにしなければいけないのだろう,どうすればいいのだろうか?,事前に”宣伝”みたいにはしたくないし・・・,察知した記者さんだけが”スクープ”していることになってしまった. もう,これを最後にしたいなあ・・・・.
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NHKオンエア

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Diary
執筆 : 
hkazu 2012-1-12 12:06
NHK朝イチ,とかいう番組で,年末にETV特集でオンエアされた津波についてリメイクされて再び取りあげられたらしい.こんなに”知られすぎて”いいのかなとも思う.取材は昨年の9月〜11月初旬で,その後も十数年来のフィールドノートをくり返し見直し,考え続けている.26日発売の科学2月号(岩波書店)には,その要点を寄稿した.せめて,これくらいのことまでわかってからにしたかった・・・・.
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