Blog - 佐渡の巨大津波履歴
佐渡島の津波履歴を調査しています.
佐渡で高校教員を長年勤められ,歴史地理学的な研究も多く,大勢の人材を育てられ,後期高齢者入りの現在もNPOを立ち上げて極めてアクティブにご活躍の小菅先生との個人的なつながりがあってのことです.4月に奥尻島で古津波履歴が分かって以来,日本海側の調査の必要性を考えていましたので,1983日本海中部地震津波,1964新潟地震津波などを意識していました.佐渡へは徐々に南下していくつもりでしたが,いきなりアプローチすることになってしまいました.
7月中旬と8月お盆前の2回行ってきました.
結果は,以下のとおりです:調査・認識の順序に従います.
1.口承,伝承
a ”三艘船”口承:両津の市街地背後の,段丘を開析している谷奥(標高30m以上?)まで,津波が遡上し,三艘の船を打ち上げた,という口承があり,現在も65歳くらいより年配者は伝えられている.明治23年の土地台帳の区割りには,この谷の周辺の田んぼに”三艘船”の区画地名がたくさん残されている.
b 加茂歌代城下伝説:やや大きな沖積谷では,標高10mていどの城下まで津波が遡上し,船が流れついたとの伝承がある.
2.東電の津波堆積物調査.
2011,3.11以降に東電によって実施された津波堆積物調査の報告が,東電HPで公表されている.佐渡市役所の防災課でそのことを知ったのですが,報告書のデータをみると,極めて適切な地形的場所で,適切な調査がなされていることが分かります.つまり,両津市街地近くの,最終間氷期の段丘を開析する浅い小谷底を含めて8カ所のボーリングらしい調査データがあるのですが,イベント堆積物が最高は標高5mまで数層準で認められています.それらの年代をよくみると,おおよそ1000年〜1500年くらいのくり返しを仮定できると解釈可能ですが,報告書の記載では海岸付近の一層だけが津波堆積物と認定され,標高4mのものが津波堆積物の可能性を指摘されています.
3.大佐渡北端部の海食崖に露出する津波堆積物
大佐渡北端に近い大野亀という,景勝地付近には,緩斜面〜低湿地を浸食する比高5m前後の切り立った海食崖が200mくらい連続していて,”平川流”の調査の理想的な地形条件があり,過去に巨大津波があったなら,堆積物として残されるにちがいないという確信があったのです.
ありました:7300年前のアカホヤ火山灰(にちがいない.これから鑑定)以降5層が崖に露出しています.津波間堆積物は泥炭質〜湿地性の有機質粘土で,大きな海浜礫の津波砂礫層は容易に認識できます.現在の海岸は巨礫=中礫の礫濱ですが,それと同じような大きな礫が津波堆積物になっているということです. 200mの崖では場所による層相の変化もありますが,ここでは詳しくは書きません.要するに過去数千年間で,5回くらいの(つまり,単純平均すれば 1000〜1500年毎)の津波だけが,海食崖を越えて遡上し,湿地へ浸水したことを示す事実が肝腎です.堆積物の礫が大きいことは,津波はさらに高所まで遡上したことを示すにちがいありません.
以上のように,佐渡でも,口承・伝承,東電による適切な調査,小生の”段丘崖での津波堆積物”によって,相対的に巨大な津波が1000〜1500年くらいの間隔でくり返し発生してきたことがほぼ確認できると言って差し支えないという認識に達しました.
日本海東縁の変動帯の地震がどれほどの範囲(沿岸の広がり)に,どれくらいの遡上高の津波を発生させてきたか,これで奥尻島に次いで佐渡島でもおおよそはっきりしてきたと理解している.
日本海東縁での系統的な調査が必要であることを示している,と確信しています.
以上,当面の調査概要です.
PS:防災の観点から,大きな問題になるのは,両津の市街地です.両津は加茂湖を閉じるように発達した砂州の上に立地し,標高は2〜3mです.ですから,ここに口承・伝承の津波ならもちろん,東電の調査による津波堆積物に基づく津波(4m)であっても,両津の市街地は津波の襲来で極めて深刻な事態になることを想定しておかねばならないということです.
佐渡で高校教員を長年勤められ,歴史地理学的な研究も多く,大勢の人材を育てられ,後期高齢者入りの現在もNPOを立ち上げて極めてアクティブにご活躍の小菅先生との個人的なつながりがあってのことです.4月に奥尻島で古津波履歴が分かって以来,日本海側の調査の必要性を考えていましたので,1983日本海中部地震津波,1964新潟地震津波などを意識していました.佐渡へは徐々に南下していくつもりでしたが,いきなりアプローチすることになってしまいました.
7月中旬と8月お盆前の2回行ってきました.
結果は,以下のとおりです:調査・認識の順序に従います.
1.口承,伝承
a ”三艘船”口承:両津の市街地背後の,段丘を開析している谷奥(標高30m以上?)まで,津波が遡上し,三艘の船を打ち上げた,という口承があり,現在も65歳くらいより年配者は伝えられている.明治23年の土地台帳の区割りには,この谷の周辺の田んぼに”三艘船”の区画地名がたくさん残されている.
b 加茂歌代城下伝説:やや大きな沖積谷では,標高10mていどの城下まで津波が遡上し,船が流れついたとの伝承がある.
2.東電の津波堆積物調査.
2011,3.11以降に東電によって実施された津波堆積物調査の報告が,東電HPで公表されている.佐渡市役所の防災課でそのことを知ったのですが,報告書のデータをみると,極めて適切な地形的場所で,適切な調査がなされていることが分かります.つまり,両津市街地近くの,最終間氷期の段丘を開析する浅い小谷底を含めて8カ所のボーリングらしい調査データがあるのですが,イベント堆積物が最高は標高5mまで数層準で認められています.それらの年代をよくみると,おおよそ1000年〜1500年くらいのくり返しを仮定できると解釈可能ですが,報告書の記載では海岸付近の一層だけが津波堆積物と認定され,標高4mのものが津波堆積物の可能性を指摘されています.
3.大佐渡北端部の海食崖に露出する津波堆積物
大佐渡北端に近い大野亀という,景勝地付近には,緩斜面〜低湿地を浸食する比高5m前後の切り立った海食崖が200mくらい連続していて,”平川流”の調査の理想的な地形条件があり,過去に巨大津波があったなら,堆積物として残されるにちがいないという確信があったのです.
ありました:7300年前のアカホヤ火山灰(にちがいない.これから鑑定)以降5層が崖に露出しています.津波間堆積物は泥炭質〜湿地性の有機質粘土で,大きな海浜礫の津波砂礫層は容易に認識できます.現在の海岸は巨礫=中礫の礫濱ですが,それと同じような大きな礫が津波堆積物になっているということです. 200mの崖では場所による層相の変化もありますが,ここでは詳しくは書きません.要するに過去数千年間で,5回くらいの(つまり,単純平均すれば 1000〜1500年毎)の津波だけが,海食崖を越えて遡上し,湿地へ浸水したことを示す事実が肝腎です.堆積物の礫が大きいことは,津波はさらに高所まで遡上したことを示すにちがいありません.
以上のように,佐渡でも,口承・伝承,東電による適切な調査,小生の”段丘崖での津波堆積物”によって,相対的に巨大な津波が1000〜1500年くらいの間隔でくり返し発生してきたことがほぼ確認できると言って差し支えないという認識に達しました.
日本海東縁の変動帯の地震がどれほどの範囲(沿岸の広がり)に,どれくらいの遡上高の津波を発生させてきたか,これで奥尻島に次いで佐渡島でもおおよそはっきりしてきたと理解している.
日本海東縁での系統的な調査が必要であることを示している,と確信しています.
以上,当面の調査概要です.
PS:防災の観点から,大きな問題になるのは,両津の市街地です.両津は加茂湖を閉じるように発達した砂州の上に立地し,標高は2〜3mです.ですから,ここに口承・伝承の津波ならもちろん,東電の調査による津波堆積物に基づく津波(4m)であっても,両津の市街地は津波の襲来で極めて深刻な事態になることを想定しておかねばならないということです.